从《罗马字日记》看石川啄木:石川啄木
摘要《罗马日记》是石川啄木用罗马写日记,没有名称,被人们称“罗马日记”。
《罗马日记》是全面反映啄木部作品,是考察作凡人啄木有力而难得。
论通分析《罗马日记》容以及啄木性格,探寻日记啄木深刻苦恼根。
图分类06 献标识码编00553(009)。
他日记里有这样感慨“春!春!花もさく!トウキョウへきてもう年だ!……が、予はまだ予の族をよびよせて�う��ができぬ!近ごろ、日に何回となく、予の心のをあちらへ行き、こちらへ行きしてる��はこれだ”。
对今井泰子说对当刚满3岁贫困诗人说,抚养35人无疑是很重压。
当啄木非但能够抚养人,连己住宿费都交不起,重复着借款生活。
了排生活上苦闷,他还曾多次买春,但又不能从得到真正快乐,生活和心理更加痛苦,是就陷入了“苦恼放荡更加苦恼”恶性循环不能拔。
但是笔者却很难认这种看法。
老いたる母から悲しき手�がた。
(略)ヨボヨボした平�名の、�名ちがいだらけな母の手�!予でなければなんぴとといえともこの手�を�みうる人はあるまい!(略)はじめのころから�るとまちがいも少ないし、もうまくなってきた。
それが悲しい!ああ!母の手�!
日记描写对妹妹感情更加直接“今夜、予は妹��哀れなる妹を思うの情けにたえぬ。
会いたい!会って兄らしい口をきいてやりたい!(略)妹よ!妹よ!われらのがうちそろうて、�しくシブタミの昔�をする日ははたしてあるだろうか?”想念妹妹,盼望团圆心情跃然纸上。
听节子信说女儿京子肠胃不,盼望着他信那天,上班电车上悲痛地想象着人北海道惨淡生活情景。
“セツコは朝に出て夕方に�る…その日、狭くるしいうちのはおっかさんとキョウコだけ!ああ、おばあさんと�!予はその日を思うと、目がおのずからかすむを�えた。
(略)ああ、タクアンづけ!不消化物がいたいけなキョウコの口から腹にはいって、そして弱い胃や�をいためているさまが心にうかんだ!”因京子病而这样苦恼啄木,如不是深爱着己女儿也就不会产生这么深刻苦恼了吧。
比如“春だ!そう予は思った。
そして妻のこと、かあいいキョウコのを思いうかべた。
”“「木�」を3枚かいて寝た。
セツコが恋しかった��”“予のセツコを�してることは昔も今もなんの�わりがない。
セツコだけを�したのではないが、もっとも�したのはやはりセツコだ。
今もことにこのごろ予はしきりにセツコを思うことが多い”。
由可以看出,虽然啄木和其他女性也有些往,但他真正爱着还是节子夫人。
通以上所考察啄木对人感情流露,能够得出结论,不管如何潦倒,如何堕落,啄木都是深深爱着己人。
但是另方面,研究者伊藤整认啄木讨厌人东京,故拖延。
但是今井泰子却说“族に�する�咀は真相の直�を避けるための方便に�ぎない”。
应该说今井氏看法更加客观。
因假如啄木真讨厌人东京,也就不会人做那么多努力了。
尽管啄木日记写是想从人重压下逃脱心情,但实际行动上却很认真地要凭着学立,而不断地进行着说创作。
是很然事情。
啄木收到母亲向他要钱信,日记有这样记录“そうだ!30回ぐらいの新��を�こう。
それならあるいは案外はやく金になるかもしれない!”可见啄木了钱是多么焦虑。
了改善惨淡生活现状,了给人带幸福,啄木不断地尝试着写了各种各样说。
甚至写说而怠工,可见他是费尽了心机。
愿望是美,结局却是不幸,他说终没能给他带济上机。
所以甚至连叫人东京准备工作都做不了。
所以身就很脆弱啄木陷入了无尽痛苦。
如他真是不责任人,他就不会人做那么多努力。
伊藤淑人说“あらゆる味において、何らかのかたちで、人�に�する「�」を有していない学は、�く�み�がれるということはない”。
正因啄木拥有颗充满爱心,所以历了很多年还是有很多人喜欢他作品,对他作品评价很高。
也许啄木学魅力就吧。
参考献。
[]田切秀雄�啄木全集五�筑摩�房9675。